生徒のサイエンスコミュニケーション能力育成のために60期中学3年生「テーマ学習」と58期高校2年生「ゼミナール」を同時に開講し、異学年の交流機会をもうけた。今年度初めての試みで、当日までに学んできたテーマは、中高生で全く同じではないが、参観・観察するだけではなく事前の学びが中学生の側にもあり、モチベーションも高まっている。共通する内容が多い講座同士のマッチングで、「ゼミナールオープン」や「テーマ研究発表会」には見られない、コミュニケーションの深まりを期待している。実施したのは4教科5科目である。
本校で総合学習として位置づけられている「テーマ学習」は、校外指導が終わった5月31日から8講座が開講され、また同じく「ゼミナール」は、6月7日から13講座が開講されていて、それぞれ1月末まで土曜日に7~8回程度実施される。そのうち「ゼミナール」及び「テーマ学習」の両方を同一教員が担当している4講座と、同一科目(物理)の教員2名がそれぞれを担当している1講座が、文化祭終了後で本校の教育研究会(公開授業)一週間前という時期を選んで、11月15日に同時開講した。中高生が同じテーマで学ぶ、高校生の発表を聞いて話し合う、などの活動を通じて、コミュニケーション能力の育成をはかろうというものである。
開講日は、1学期の校外指導明けから始まって、「ゼミナール」は第5回、「テーマ学習」は第4回にあたる。校内プロジェクトⅠ教育実践1では、同時開講が可能な講座について、実施の可否、当日のテーマ、授業形態、中学生と高校生の関わり方等をアンケートしたところ、全講座から実施するとの回答を得ることが出来た。各講座の、事前準備内容等の詳細については、該当ページをご参照いただきたい。
同時開講を実施した「ゼミナール」講座と担当教員は以下の通りである。
同時開講を実施した5講座は中学生と高校生の関わり方で3通りに分類できる。
アンケート結果の一部を紹介する。このアンケートは、「サイエンスコミュニケーションアンケート」(p.105参照)として実施したもので、評価の項目は次の3点である。
結果を見ると、発表を行った高校生は、説明をうまくできたと評価している生徒が少なかったが、わかりやすく、親しみやすく、中学生の学習状況に合わせるなど工夫したものが多く、事前の準備も活動に生かされていた。また、中学生にも一部に「事前学習をしたい」「もっと簡単に」といった感想があったものの、「新鮮だった、とても楽しかった」「面白かった」「高校生と一緒に授業できてよかった」「授業体制が新鮮だった」など好評なものが多かった。
各講座の実施内容およびアンケート結果の詳細については、以降の各ページもあわせてご参照いただきたい。
共同作業である問題解決型ワークショップを 参与観察することで、「教え合い、学び合い」活動への、自らの参加の仕方が変わるのではないか
「サイエンスコミュニケーション能力を育成する少人数学習の研究と実践」では、異学年生徒同士の教え合い、学び合いを取り入れた授業実践を行っている。端的に言えば、上級生が下級生の指導を通して、「教えることを通して学ぶ」ことによって、より深い学びの形を目指す、ということである。
しかし、このような学習モデルを考えるときの落とし穴が一つある。それは、学習を「教える→学ぶ」という一方通行の営みのように捉えてしまうことである。学習は、決して知識のある者がないものに「与える」営みに終始するものではない。
必要な「知識」のほとんどがWEB検索を通じて入手できる現代では、近代教育システムの知識注入型授業、預金型学習はあまり有効ではない。「教え合い、学び合い」ということが、教師→生徒、という教え教えられる一方通行の関係を、上級生→下級生の関係に置き換えるだけで終わるのでは、(たとえ、上級生の側に教える難しさを体験し、下級生からフィードバックを受ける機会があったとしても)十分ではない。一方通行ではない、相互に参加し、影響を及ぼし合い、その結果、問題が解決されたり、創造性のある仕事ができたりする体験が必要である。そのために、今回の実践では、演劇的手法を取り入れた問題解決型ワークショップを行った。
(サイエンス)コミュニケーション能力を高めるためには、ただ「教え合い、学び合い」をするだけでは、不十分である。もちろん、闇雲にそうした機会を持つのではなく、ソーシャルスキルを高め、「教え合い学び合う」ための方法を習得することも大切である。
しかし、コミュニケーションとは、単なる技術ではない。話し方講座でいくら勉強しても、コミュニケーション能力はなかなか向上しない。豊かなコミュニケーションのためには、コミュニケートを可能にするような、しなやかな体の状態を保ち、その「場」に慣れ、コミュニケートしやすい状態を持っていなければ、コミュニケーションは十分にはできない。どんなにコミュニケーションの方法を知っていても、抑圧された、緊張感の高井局面では、コミュニケーションは成立しないのである。
今回は、高校生が、演劇的手法を取り入れた問題解決型ワークショップに参加する中学生を観察して、自身に逆照射して考えさせることにより、コミュニケーションが行われる空間、身体について考え気づくことができるのではないかという仮設を立てた。
演劇ワークショップに参加する中学生の様子を、高校生がエスノグラフィックに記述することを通じて、コミュニケーションについて考えさせた。
本年度は、同じ担当者が、中学生の「テーマ学習」、高校生の「ゼミナール」で、演劇とその周辺をめぐることがらを主題とした講座を開設した。
中学生の「テーマ学習」は、「ろみじゅり」と名付けて、シェークスピアのテキストをもとに、生徒がそれぞれキーワードを発見して、言葉と身体を使って表現するワークショップを行った。
ワークショップリーダーに、劇団青年団の工藤千夏氏、田野邦彦氏、山の手事情社の井上奈保未氏を招いて、さまざまな刺激を与え、方法の引き出しを増やし、全体で、またグループ毎に制作したシーンをつないで、最終回には40分ほどの発表を行った。
演劇ワークショップの場はさまざまな対話に満ちあふれている。テキストの中の対話、グループでシーンを制作するための対話、観客との対話……。本校生徒の多くは、似たような家庭的バックグラウンドを持ち、偏差値や年齢で輪切りにされ、しかも男子校という環境の中で生活している。講座では、そうした生徒の日常の限定的な対話環境を拡げることを祈念して、時代を超え、性差を超えたテキスト、外部講師という学校の文脈から自由な大人、同級生・保護者はもとより、見学の演劇人を含む多様な観客を用意した。
高校生の「ゼミナール」は「演劇論的」と題し、古今の重要な演劇論を講読しながら、受講者のものの見方・考え方を拡張することを意図している。
前半三回のゼミナールでは、ピーター・ブルック、アントナン・アルトーらの著作を輪読して、制度的な劇場の、プロセニアムの舞台で特権的な表現者が発信する作品を、着飾った上品な観客が静かに座って受容することのみが、演劇の正しい形なのではなく、より日常の相互作用的な関係の中にも演劇は十分成立し得る、ということを確認した。
今回の合同授業は、テーマ学習、ゼミナールとも四回目の講座にあたる。
中学生は、大きく二グループに分かれて、青年団の「静かな演劇」の手法と、山の手事情社の「山の手メソッド」を使って、「ろみじゅり」のシーンを制作し、発表する、というワークショップを行った。
高校生は、そのワークショップの模様を、できるだけ主観的に、細大漏らさず記録する、という作業を行った。
実は、ワークショップの記録方法、というものは、未だ確立していない。時系列に沿って、一つ一つのアクティビティ(活動)の内容を記録してゆくことはもちろん可能だが、ワークショップでは、そのように文字化されない部分が実は重要である。たとえば、その時受講者がどのように感じていたか、どのような表情であったか、ある受講者の行動が他の受講者にどのような影響を与えたか、受講者の参加の仕方がどのように変化したか、と言ったようなことは、なかなか記録にとどめにくい。
しかし、コミュニケーションについて深く洞察するためには、ワークショップリーダーによって与えられるシラバスそのものよりも、受講者同士の相互作用によって生み出される諸々のことどもの方が、はるかに重要である。
今回は、記録についての制約的な書式を用意せず、エスノグラフィック(民俗誌)な手法で、高校生の目に映ったものごとを、とにかく全体的に記録してもらうことにした。
高校生が、中学生の観察を通して、コミュニケーションを行う場や、自らの体についての省察をすることができた
高校生たちが講座語に漏らした感想は、「大変だった、息をつく暇もなかった」「人間の動きというものは、観察してみるとおもしろい」「話し合いの過程をひたすら黙って観察するのは、得難い経験だった」というものである。
生徒にコミュニケーションを教えるときには、どのように話したらよいか、聞いたらよいか、という自分自身への省察が中心となる。しかし、コミュニケーションは相互作用なのであるから、自分がどう話すか、ということは、相手がどういう状態であるか、そこがどのような空間であるか、ということが非常に重要で、実は、自分はしゃべっているのではなく、環境によってしゃべらされているのだ、という認識も重要である。
今回の実践が、そのような認識への導入になれば幸いである。
高校生は、中学生と比べて参考にする文献量も多く、より多面的な視点から報告を準備する。とくに、ある問題意識を持ってそれにそって報告をまとめる。また、分かりやすく報告をする工夫をする。中学生は、やはり自分たちとの違いを感じるであろう。
こうした問題に対して、中学生の方は正義感が前面に出た回答が多いだろう。高校生は、より現実的になり、また、自分なりの理屈を持ってこたえようとする傾向が強くなるだろう。
高2ゼミナール「科学と戦争のかかわりを考える」は23人が選択した。具体的テーマとして「広島・長崎」と「731部隊」を取りあげたが、教員の講義は詳しい内容の解説ではなく、研究のきっかけとなる問題意識の提示になるようにして、基本的には各自が研究テーマをもてるようになることを重視して運営した。新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から発見された人骨の問題も、ニュースビデオを途中まで視聴して「謎」を残し、調べてみる者がいないか促した。その結果、「人骨問題から731部隊を考える」をテーマに研究する生徒が出てきた。
中3テーマ学習「731部隊について考える」は7人が選択し、常石敬一『七三一部隊』(ちくま新書)を分担してレポートする形で学習会を進めてきた。この本には人骨問題が取り上げられており、その際に、高校ゼミと同じ形でビデオ視聴を行った。
こうして、ゼミ・テーマ合同開催時には、共通の学習内容となるものとして「①『謎の人骨』『731部隊』を学ぶ」とした。報告は、高校生が多数なこともあるので中学生にはあてず、上記の生徒に引き受けてもらい、この生徒たちは中学生も対象となることを意識して報告準備を進めてくれた。
「②731部隊の医者の責任に関する常石敬一氏の提起を考える」は、中学生とともに常石氏の本を読み進めるなかで以下のような記述に注目したことによる。
「…西欧の習慣であるが、医者というのは専門職業人(プロフェッショナル)として社会的に尊重されている。それはつまり、医者は社会に対して「人の命を助ける,苦痛を軽減する」と宣言(プロフェッツ),つまり約束している人々だということだ。その宣言を,約束を守る限りで,医者は社会的に尊重されるのだ。ところが731部隊の,また、石井が作り出したネットワークである石井機関の医学者たちは,その約束を自ら破棄し,医師の宣言を踏みにじったのである。(中略)
戦争だったから特別は、という言い訳がまかり通る余地があると考える人たちもいるかもしれない。しかし医者にとっては、人の死を認定することが大きな仕事とされる。つまり医者とは、死という人間にとっての最も重要な問題を自分一人の責任で決めなければならない、誰よりも「個」の確立を求められている人種である。そういう人々に、戦争という極限的な状況を言い訳にすることが許されていいのだろうか。専門職業人に「一億層懺悔」は許されない。彼等一人一人、どのようなことを、どのような状況で行ったかを自ら検証しなければならない。それが最低限の社会的責任というものだ。」
この文章の前後の記述について、中学生には学習の一環として、高校生には特別にコピーで配布し、次の点について意見を書かせて提出を求めた。
このアンケート回答の一覧を用意して、意見交換のきっかけとしたいと考えた。
①では、中学生には、何冊かの本や資料からまとめて発表する高校生の報告の深さを学ばせ、高校生には、中学生にわかりやすいように報告を準備させたいと考えた。中学の学習会の進行状況から、中学生は一応人骨問題の知識を持って高校生の発表にのぞむことになったため、新鮮さはないことになるが、その分、どこに重点を置いた発表になるか注目をさせることができる。高校生は、パワーポイントで資料を準備した。
②では、中学生と高校生のこうした問題へのとらえ方の相違を探り、双方の意見交換のきっかけとすることを狙った。実際に意見を発表することが難しい場合も考え、事前に書いたアンケートの回答を文書で用意することにした。
①では、パワーポイントを使った高校生の発表では、集めた資料の多さと実証的な扱いが目についた。中学生の感想は、中学生がやる報告よりわかりやすかったということは共通しており、全体的評価では、多くの知識を加えることができたよかったという者と、だいたいのことは知っていたという者に分かれた。教員からみると、731部隊の「成果」をどう受けとめるかという問題意識を強く出したことが中学生にはない視点であったが、人骨問題と731部隊の解説に時間をとられ問題意識をもとに報告をまとめる点でやや不十分だったため、この点が中学生に伝わりきらなかったようであった。教員側の事情から高校生の準備の事前段階で十分にアドバイスをすることができず、当日は、パソコンの不具合でパワーポイントのスタートに時間がかかり、発表生徒にやや申し訳なかった。
②は、Aの項目に絞ってみることにする。まず、中学生らしいといるような正義感の強く示された記述をあげよう。
同様に正義感が全面に出たものは高校生のもあるが、高校生では次のような記述も多くなる。
やはり高校生の方が、書かれていることをそのまま肯定的に受けとめるのではなく、自己の考えを対置して複雑に考えようとする傾向がみられる。ただし、中学生はそういう読みをしないわけではない。
これは中学生の記述だが、内容的には高校生のとつながるものがある。これらをみると、高校生と中学生の考え方を簡単に分けることはできない。中学生のアンケートでも、意見の違いは中学生と高校生との差というより人によるのではないか、と記している者がいる。そして、こうした中学生が高校生とともに論議をすることは、ひとつの大きな刺激になるだろう。
しかしまた、こうした問題では、中学生が正義感から素直に受けとめることを高校生の議論で押しつぶしてしまうというようなことも気をつけなければいけない。高校生の中で中学生が意見を言うことは簡単ではない面もある。意見の大きな差にも目を向け、中学生同士が意見を交換する「中学生らしい議論」の機会を大切にすることも重要なことであろうと、あらためて考えた。
また、常石氏は医者を職業人とする根拠のひとつを「人の死を判断する」ことに求めているのであり、それは、職業人が単なる医術(技術)をもつ者という意味とは違う。この点を高校生はしっかり読み取れていないことに、このまとめをする中であらためて気がついた。論議の大前提として、文章や相手のいうことを正確に受けとめられなければならい。この点を高校生に気付かせ、中学生に伝えることが、合同で学ぶひとつの役割だったのかもしれない。
高校2年生が中学3年生に対して実験指導を行った場合の効果について、中高生それぞれに以下のような仮説を立てた。
中学3年生に対して実施したテーマ学習では「音・光の性質とその応用」を、高校2年生に対し実施したゼミナールでは「2次曲線の不思議と物理現象」を実施してきた。合同授業では、高校2年生が中学3年生に対して、ゼミナールで実施した実験の指導を行うことにした。
6つの実験を、①、②、③、④、⑤+⑥の5つのグループに分けて、物理実験室と講義室で異学年間での教え合い・学び合いを実施した。
| 実験 | 実験セット | 中3 | 高2 |
|---|---|---|---|
| ① | 2セット | 4名 | 4名 |
| ② | 2セット | 5名 | 5名 |
| ③ | 2セット | 5名 | 5名 |
| ④ | 2セット | 5名 | 3名 |
| ⑤+⑥ | 1セットずつ | 5名 | 9名 |
①~④の実験は2セット(2テーブル)を用意した。各テーブルでは、学ぶ中学3年生2~3名と教える高校2年生1~3名で1班を形成し、実験を行った。⑤+⑥はストロボ撮影のため、中高14名が1つの大きな班を形成して2つの実験を行った。教える高校2年生は移動せずに各実験テーブルに配置され、学ぶ中学3年生は①→②→③→④→⑤+⑥の順でローテーションしてすべての実験を体験した。教える高校2年生は、同じ内容を5回指導することになった。なお、1つのグループ実験に費やす時間は約20分と短かった。
シンクロスコープの原理と使い方、低周波発振器の使い方、電磁誘導、正弦波などについて、教え合い・学び合いが行われた。

フェルマの原理の立場から、光の反射の規則性を幾何的に取り扱って、教え合い・学び合いが行われた。なお、高校生は事前に実験プリントを作成して当日に臨んだ。

重ね合わせの原理の立場から、水波(光以外の波)における反射の規則性を幾何的に取り扱って、教え合い・学び合いが行われた。

マイクとスピーカーの原理、低周波発振器とシンクロスコープの使い方、リサージュ図形、縦波の正弦波、波の位相などについて、教え合い・学び合いが行われた。

遠心力、見かけの重力、重力加速度、放物線などについて、教え合い・学び合いが行われた。

マルチストロボや記録タイマーの原理、放物運動、重力加速度、水の表面張力などについて教え合い・学び合いが行われた。

授業後のアンケート結果を中心に、当初の仮説を検証してみた。
「不思議な現象を見ることができた」「楽しかった」「おもしろい実験が多かった」「マンツーマン指導に近いので、いま教えてもらっているという実感があった」「高校生と一緒に実験ができてよかった」「分かりやすい説明で非常に充実していた」との回答があり、通常の授業では得られない関心と興味を抱いた生徒は多かったようだ。「装置の取り扱いが上手ですごい」「実験の内容も機会の使い方も理解していてすごい」との回答があり、2歳上の高校2年生は中学3年生から見て優秀な先輩であったようだ。一方、「数式が出てくると分からない」「知らない用語があった」「知識に差がある」「もっと簡単な内容に」「対象が中3であることを意識した説明がほしい」との回答もあり、代数や解析の未熟な中学3年生にとっては難しい内容も多かったようだ。
「結局、自分が装置の使い方を覚えるチャンスとなり、楽しかった」「説明しているうちに自分の理解が深まった気がする」「人に説明できて初めて理解したと言える」「説明する側にはより深い理解が必要で、よい勉強になった」との回答があり、教えることは学ぶことにつながるとの認識を強く持ったようだ。事前に高校生には、実験はできるだけ中学生にやらせるように、代数や解析(微分・積分)は使わずに幾何的に説明するように、物理的知識に頼らないように言い渡しておいた。しかし、「重力加速度、微積、sinやcosを分からない中学生に説明するのは難しい」「この2年間の自分の成長を実感した」との回答もあり、数学や物理の力量の差は歴然としていることが分かった。
アンケートへの回答は、高校2年生の方が積極的で、今回の企画に対して長所と短所を明確に挙げている。多くの高校生が実験指導の難しさを感じつつも、手際よく実験を成功させたときや上手く説明できたときの喜びを伝えていた。このことが、高3での「テーマ研究」発表会の充実につながることを祈念している。
本校SSHでは、「サイエンスコミュニケーション能力を育成する少人数学習の研究と実践」として、生徒どうしの教え合いや学び合いを取り入れた授業を作っていこうとしている。これは、より深い学びは他人に伝えたり教えたりする過程で得られるのではないか、という仮説に基づいている。教師自身、学生時代に学校で教わったことよりも、自分が教師になって生徒に授業を行った経験から教材自体について学んだことの方が深く確かな知識になっていると実感している。「教えることを通して学ぶ」という活動に目を向け、生徒たちにもそれを実践してもらおう、というのが狙いである。
特に理科の授業に於いては、教材そのものだけでなく、実験の方法についても生徒自らが情報伝達者となり得る。また、生徒実験は生徒の活動が中心となるため、上級生が下級生を教える授業スタイルが確立しやすいのではないかとも思われた。
今年度は、高2ゼミナール「パターン形成を操る遺伝子 −単離と発現解析−」、中3テーマ学習「ショウジョウバエの生物学」の両者を私一人が担当したため、この高2授業と中3授業の2つをクロスさせる合同授業を計画した。しかし、同じ生物の授業とは言え、本来テーマや方向性が全く異なる2つの異学年の授業をクロスさせられる教材を考えるのは容易ではなかった。
高2ゼミナールでは、実質第2回目にあたる6月28日の授業にショウジョウバエの発生観察を行った。また、夏休みに全4日間かけた「 in situ hybridizationによるパターン形成遺伝子の発現解析」実験を行った。このため、ショウジョウバエ卵の扱いにはかなり熟練していると思われた。そこで、これらを下地に、ショウジョウバエの初期発生の観察を教材にすることにした。遺伝子発現を中3生徒を相手に説明するのは困難であるが、発生のベースに遺伝子のはたらきが重要であり、形態形成運動の時期と関与する遺伝子の発現時期との関係に目を向けさせることは可能かもしれないとも考えた。中3テーマ学習では、ショウジョウバエを用いた様々な実験を行っていくカリキュラムであったため、その1つとして取り上げる実験としてもふさわしい筈である。実施した合同授業は以下の通りである。
ショウジョウバエの初期発生観察というテーマは、高校の授業でもあまり取り上げられない、マイナーなものである。しかし、たった一つの卵から秩序だった体ができあがる発生現象のふしぎは、中学生にもアピールするはずである。そこで、まずは、小さな卵の中で起こっている現象を自分の目で観察してもらうことを第一に考え、十分な実験・観察時間を取ることにした。さらに、その変化の背景に遺伝子のはたらきが欠かせないことを知ってもらうことを第二の目標とし、講座の最終場面では、高2の生徒たちが夏休みの集中実験で行った、in situ hybridizationの結果(下図)も交えたプレゼンテーションをすることにした。
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授業計画は生徒が中心となって進めた。授業時に使うプレゼンテーションファイル、実験プリント等、すべて以前に配布した授業プリント等を元に生徒が作成した。進行表等も含んだティーチングマニュアルも生徒の手で準備された。これら一連の準備手順、役割分担決めは、一ヶ月以上前の授業時間を割いて行った。実験の進行方法については様々な意見が生徒から出されたが、実験手順の説明は全体に対して行うのではなく、テーブル毎に行うこととなった。また、実験を上手く進めるための技術的なアドバイスを教師が行った。
8つのテーブルに分かれてすべての高2生徒が中3生徒に説明しながら進行
上記「3.実験・観察」の過程では、各テーブルに高2生徒2名、中3生徒2名という人数割りで進行した。場面場面で話をする高2生徒が代わりながらではあるが、実際の実験操作説明、作業の補足説明、観察時のアドバイスをほぼ高2生徒全員が行っていた。その状況は、通常の教師一人がテーブルの間を行き来しながら指導を進める生徒実験の授業風景とは全く異なる新しいスタイルとなっていた。いつもの授業では発言の少なかった高2生徒が胚の発生ステージ等について熱心に説明している姿など、目を見張る場面もあった。一方の中学3年生も、普段の中3生徒実験のときとは全く違った真剣そのものといった表情で高2生徒の説明に聞き入り、作業も熱心に取り組んでいた。実験作業だけではなく、卵の構造や発生段階の違い、背景の発生学や分子遺伝学に関する質問などが中3生から高2生に多数投げかけられていた。これらの想定外の質問に対しては、以前の授業で配布されたプリントを使ったり、ノートに絵を描いて説明したりと、高2生徒の方も熱くなっていた様子だった。
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高2ゼミ生は、実際に理解していたつもりになっていた事柄もいざ相手に伝えようとすると困難さを感じていた。また、中3生から受けた質問で初めて自分の理解が不十分だったと気づく。完璧な理解が必要であることを痛切に感じた生徒も多い。「手順良く人に説明しようとしたときの難しさを思い知った。」「ある程度うまくいって良かった。もっとはっきり説明するよう心がけないといけない。教えるという行為は完璧に理解していないとできない。」(以上、高2生徒の感想より) 合同授業が終了した後に教師は高2生徒から本質的な質問を受けた。まさに「教えることを通して学ぶ」体験ができた。しかし、高2生が持っていた目標レベルは高く達成感はそれほど高くなかった。
意外だったのは中3生徒の受け止め方である。上級生の説明が大変刺激的だったようで同様の授業を再度受けてみたい、という生徒も少なからずいた。「2年上の先輩に教えてもらえるのは、先生と違い、何か親近感(?)みたいなものを感じた。もう少し難しい所までやりたかった。」(中3生徒の感想より) 異学年の生徒同士の場合、教えられる側にも成果が見られる方法かも知れない。
科学的コンテンツを相手に説明する、という活動は、ポスターセッション形式の発表会でも実現できる。しかし、こうした異学年の合同授業の中で行うと、自分の研究ではなく授業で学んだ知識を深めることができる。今後は、こうした異学年合同の実験授業のみならず、出発点を同じとする共同作業のようなワークショップ形式も可能かどうか、検証してみたい。
今回の「大作曲家の交響曲第五番を聴こう!」ではロシアの作曲家セルゲイ・プロコーフィエフ(1891-1951)を取り上げた。ベートーヴェンから始まってチャイコフスキー、ショスタコーヴィッチと続き今回のプロコーフィエフとなる。
講座の対象は高校二年生なのだが、今回は中学3年生も参加する変則的な形となった。授業の形式は講義形式。高校2年生の授業では既にオーケストラや楽器(移調楽器を含む)等、スコアについての解説もしてきた。しかし、中学生には高校生と全く同じ授業をしても理解不能なので、それぞれに資料を変え高校生と中学生の取り組み方を変えてみた。その取り組み方の違いについてどのような結果になるかを検証してみた。
本校は音楽の専門課程ではないので高校2年生でも生まれて初めてオーケストラの総譜を数ヶ月前に見たという生徒がほとんどであり、私が取り上げた作曲家の交響曲第五番を聴くのも全くの初めてという生徒ばかりである。
また取り上げる作曲家の生没年順から言えばショスタコーヴィッチ(1906-1975)の方が後だが楽曲の作曲年がショスタコーヴィッチの楽曲(1937年)よりもプロコーフィエフの楽曲(1944年)の方が後であるし音楽的にみても内容が後者の方が複雑なので今回のように順番を逆にした。
前回までの授業の中で高校2年生は総譜(スコア)の読み方にもだいぶ慣れてきたと思われるがやはりそこは一筋縄ではいかないプロコーフィエフの音楽…。調性感もあり軽妙で面白く色彩感溢れる音楽が多いのではあるが、プロコーフィエフの独特な不協和音や素早い転調、音域の広く跳躍的で速い旋律や楽器がめまぐるしく変わったりして突拍子もなく現れるパッセージの連続する楽曲故に楽器音を聴きとり感じる能力と読譜力がかなり必要とされるのである。このような楽曲を読みこなすにはスコアリーディングの予備知識や楽器の音色の違いを認識させる必要がある。それなしにスコアを見て聴かせてもついていけないのである。特に本校の中学生に至っては、オーケストラの音を聴きながら20段以上もあるスコアを読み追っていくことなどは現段階においてはまず不可能である。何故なら、オーケストラの総譜の読み方も習っていないし、様々な楽器の音の違いも楽器音の重なりの違いも習っていないからである。
中学生には授業の少し前のテーマ学習時にこういう内容の授業をするので授業時に理解を深めることが出来るように事前に楽曲を聴くとか資料等で作曲家や楽曲解説を読むなどを事前に調べものを行うように指導した。総譜の読み方や、楽器の音についてもある程度調べることも必要だと伝えた。このことにより楽曲や作曲家について全く知らないところから始まることがなくなり、私の準備した資料内容もある程度理解のできる状態から読むことが出来るため取り組みがスムースに行われると思われる。

今回の授業時間は2時間なので、1時間目に説明解説を行い、2時間目に楽曲を聴くようにした。解説の中で歴史的背景とプロコーフィエフの生涯における作曲時の状況などについて資料を使いながら詳しく説明した。資料は高校生の方が作曲家についての詳細な資料、中学生には比較的簡略化されたものを与えた。
楽曲が1944年の夏に作曲されたことの意味と経緯、つまり当時の時代背景やロシアの情勢やプロコーフィエフのロシアにおける位置や楽曲の初演についての解説も含めて行った。楽曲解説の資料は高校生も中学生も同じものを与えた。但し、解説の言葉については中学生でも解るような分かりやすい言葉や説明を行うことに細心の注意を払った。同じことでも違う言葉で言い換えたりするなども行った。
2時間目の授業では全員に楽曲解説の資料を3種類配布し、高校生には各人にミニチュアスコアを用意し楽曲を聴きながらスコアを読んでもらった。中学生にはミニチュアスコアの代わりに、前述の楽曲解説とは別の詳細な解説に主要旋律楽譜(楽譜例)の入った資料とその主要旋律部分のスコアコピーを与えて楽曲演奏中にどこがどの部分かを口頭で指示し気づかるようにした。そのことで音楽にも総譜(解説の楽譜も含む)にも興味関心を持たせるようにした。

授業後の感想とアンケートにより高校生と中学生の率直な意見を知ることが出来た。
今回は中学生と高校生に同じ授業を受けたもらった訳だが、中学生各自の主体性による事前学習(Web検索が多かった)と中学生用に楽譜入りの詳細資料を用意したことと解説を中学生にも解りやすい言葉を使って説明したことで高校生向けの授業を何とか理解してもらうことが出来たようだ。中学生に総譜(スコア)を読ませなくてもある程度主要旋律が書かれている詳細な解説があれば何とか楽曲を聴き親しむことが可能だということも見えてきた。
しかし、今回は授業対象が高校生になっていたこともあり、今回の内容を事前学習なしに中学生に完全に理解してもらうためには事前の授業(楽器やスコアの読み方等)を少なくとも数時間行わないと厳しい。また、中学生のための平易に書かれた資料(主要旋律楽譜付き)が意外と少ないこともあり資料集めに苦労したのも事実である。授業前に生徒の主体性で下調べをしてもらった訳だが、楽器・オーケストラ・総譜まで調べた生徒はいなかったようである。オーケストラ楽器や総譜について独学で学ぶには中学生にはかなり厳しいと言わざるを得ない。